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  • ピックアッププレイヤー 2005-vol.12 / 高畠 勉 コーチ

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来年、川崎フロンターレは創立10周年と言う節目を迎える。
フロンターレのコーチとして常にチームを支えてきた高畠コーチが、選手、そしてチームへの想いを語る。

「内容でも実力でも勝てる内容の試合だったのになぁ。なんで負けてしまったんやろうか…」

 1998年11月19日、博多の森球技場。いまでも語り継がれるJ1参入決定戦は、高畠コーチにとって最も忘れられない一戦となった。JFLで2位となり出場権を獲得した川崎フロンターレとJリーグ・アビスパ福岡との一発勝負。ほとんどアビスパサポーターで埋まった博多の森で、フロンターレ2対1とリードのままロスタイムへ。しかし、ドラマはここからはじまった。ロスタイムに同点ゴール、そして延長Vゴールでアビスパが逆転劇を演じたのだ。試合が終わり、泣きじゃくり、がっくり肩を落としてロッカールームに引き上げてくる選手たちを見ながら、高畠コーチは考えていた。

「手応えはあったし、チームとして決っして引けはとってなかったと思うねんけど…。でも、負けたという結果は事実やから受けとめなアカンなぁ。……でもやっぱり、もう1試合ホームでやりたかった。やらせてやりたかった」

 原因を見つめ、足りなかった「何か」を埋めることが、その日以来、コーチとしてのひとつの大きなテーマになった。

「技術的、戦術的な問題でもなく、実力でも勝ってもおかしくない試合だった。でも、やっぱり足りないものがあったから結果が出なかったわけやし。経験という部分もあるし、独特だった会場の雰囲気もあるだろうし、なんていうか、競り合いとか細かいところの本当にちょっとした差なんやけど、それがアウェイ1回という不利な状況で出てしまったんだろうなぁと」

 そして、翌年フロンターレは“3度目の正直”で一度目のJ1昇格を果たす。前年の悔しさが結果となって実ったのだ。

「参入決定戦があったからこその99年の昇格だった。苦しいときに踏ん張れるようになった」

 だが、2000年はわずか1年で降格。積み重ねたものがあっけなく手のひらからすり抜けてしまう空しさは、すぐにぬぐいきれるものではなかった。そして、翌2001年から文字通りゼロからのスタートを切り、4年の歳月を費やし昨年、二度目のJ1昇格──。

「2001年から、もう一回ゼロからはじまったことは残念やったけど、でもそこから積み上げてきたからこそ、いまがあるし、チームも成熟しましたからね。2003年も昇格できるだけの実力はあったけれど、あと一歩が足りなくて、それがあって2004年の圧倒的な強さがあった。昇格ということでいったら、99年のほうが最後は安心していられた。昨年は、王手をかけてから何度も引っ張っちゃったでしょう。マスコミもどっと詰め掛けていたし、精神的に最後はきつかった」




 2004年9月26日、笠松運動公園陸上競技場。1対1で迎えた後半26分、マルクスがFKのボールをセットするところをベンチから見つめ、高畠コーチは予感を抱いていた。

「入るな、という気配があった。「来い!」って思ってみてた。ゴールでいえば、あのFKが一番かな」

 昇格を決めた後、高畠コーチが言っていたことを思い出す。「1回昇格して1年で落ちて、そこから長かったし積み上げてきたから今回の昇格のほうがうれしい」としみじみと語っていたのだ。そこにはどんな気持ちが込められていたのか、改めて話してもらった。

「やっぱり1年で落ちてしまった悔しさというのを知っている選手たちは、その思いがあっただろうし、僕自身もやっとまたJ1のステージにチームが行けるのかというのは感慨深かった。でも、コーチとしてはその悔しさを味わった選手たちには、1回目の昇格で、そのままJ1でやらせてあげたかったという思いはいまもありますね。もちろん、積み重ねてきたことは決して無駄ではなかったと思うし、ちょっと遠回りしたけどあれがあったからこそ、ここまで成長できたということもあるんやけどな」

 万感の思いを込めて、再び戻ってきたJ1。ここぞ、というときに決して勝負強いチームではなかったフロンターレが、我慢強いゲーム運びができるようになった。それは、過去の経験が糧となっているからこそ、と高畠コーチは言う。

「そういう意味での弱さっていうのは、クリアできてきたんじゃないかと思う。やっぱり、経験なんかなぁ。結果が出てそれが自信につながるというか、結果が出ると自分のプレーはこれでいいんだっていう確信に変わるから。地獄もみたし、うまくいかなかった時もあったけど、そういう経験があったからこそ、というところやなぁ。やっぱり、悪い時の自分を知っているし、なにがあかんのかっていう弱さをわかってるからこそ、いまの強さにつながってるんやと思う」

 来年、フロンターレは創立10周年という節目の年を迎える。この先、長く長く続くであろうフロンターレの歴史のなかで、その最初の10年間をチームとともに歩んできた。未来のフロンターレに高畠コーチが望むこととはなんだろうか。

「地元の神奈川、川崎の子どもたちがフロンターレが好きでサッカーを始めてくれて、いずれジュニアユース、ユース、出身高校なりそれぞれ活動している舞台で経験を積んで、トップチームで活躍するということ。あとは常に優勝争いをしているチームになり、そのなかから代表、世界へと繋がっていくようなチームになることやな」

 思えば、フロンターレ発足当時は「川崎フロンターレ」といっても「なにそれ?」と言われた時代があった。スタートを切ってから、少しずつ地域に根付き、愛され、そして全国に知られるチームへと認知され、クラブとして手探りで礎を築いてきた。

「そうやったな。最初の頃は『フロンターレ? なにそれ?』ってよく言われてたっけなぁ。それがやっと10年かけてJ1で全国区のチームになったということやな」

 そして、最後に高畠コーチはこう締めくくった。

「もう二度と、降格はしたくないって気持ちは強くありますね」

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