CLUB OFFICIAL 
TOP PARTNERS
  • ホーム
  • F-SPOT
  • ピックアッププレイヤー 2005-vol.10 / 原田 拓 選手

KAWASAKI FRONTALE FAN ZONEF-SPOT

PICKUP PLAYERS

ピッチを見ると、金色に輝く髪がひときわ目立つ。ひと目で見分けられる風貌と左右から蹴りだされる独特なブレースキック。
他にない"個性"をもつ選手が、チームに新たな彩りを加えた。

 原田拓は、生まれてから高校までの18年間、熊本県に生まれ育った。

「熊本市内っていっても、田舎ですよ。すごい田舎。家にはあんまりいなかったですね。いつも外で遊んでた」

 サッカーを本格的に始めたのは小学校4年から。3年生のとき、自宅の近くに小学校が新たに建設され、近隣のふたつの小学校から一部の生徒が移ることになった。原田も、そのひとりだった。その新設小学校のサッカー部に入り、6年次に原田たちは熊本県で優勝し、全日本少年サッカー大会に出場するという快挙を果たす。中学時代は、上下関係に厳しい環境で、「もったいなかった」時期を過ごすが、それでも3年次には県大会で優勝。個人的にも県選抜に選ばれ、県内有数のサッカー強豪校である大津高校への入学が決まった。「高校時代は、サッカーばっかりやってたイメージ。練習自体はそんなにキツくなかったんですけどね、ほんとサッカーばっかりやってましたね」と振り返る原田。巻(千葉)、櫛野(千葉)、土肥(F東京)ら多くのJリーガーを輩出し、全国大会に出ることが当たり前だった大津高校で、原田の基礎は造られたといっても過言ではない。漠然と大学に進学するものだと思っていた原田だったが、周囲の影響で「プロ」についても考えるようになったという。


「プロはそんなに意識してなかったんですよね。でも、U-18日本代表候補に2回ぐらいなってそこで話を聞いたりして考え方が変わったっていうのはあるかもしれない。高校2年の終わりぐらいから、Jリーグのスカウトの人から声をかけてもらうようになって、それから少しずつ考えるようになった」

 プレースキックを武器にしたのも高校時代のことだ。とにかく練習を重ねた。

「相当、練習はしました。高校時代は一番やってましたね。壁を置いて、ひたすら狙って蹴るんです。試合でもけっこうFKを決めてましたよ。ほんとによく入りましたね、あの頃は」

 原田の蹴り方は独特だ。ひざ下の振りぬきも速く、ひざが微妙な角度で曲がりボールを捕らえると、直線でゴールに向かうこともあれば、CKの際には半円を描くように膨らんでからゴール前に吸い込まれていく。気づいたら、そういう蹴り方になっていた。

「高校ぐらいから変な蹴り方だって言われていたけど、自然にそうなってたんですよ。自分では別に意識してないんです。サッカーはよくテレビで観てたけど、誰の真似をしたわけでもないし」

 こうして、礎を築いた原田は2001年、名古屋グランパスエイトへの加入を決めた。あと半年間の契約が残っていたピクシーの存在が、決め手となったという。

デビュー戦は、想像以上に早かった。6月16日、ファーストステージ第11節対札幌戦のことだった。

「試合にはしばらく出られないだろうなぁと思っていたら、ケガ人が出たりしてファーストステージでもう出ることになったんです。相当緊張しました。1対2で負けてる状況で出たんですけど、名古屋が追いついて2対2になって、途中からディフェンスラインにも入るような役割もしたから。緊張したなぁ」




 デビューは早かったが、選手層の厚い名古屋にあってレギュラーを掴みとるまでには高いハードルがあった。いま、振り返って、名古屋での3年間をこう語る。

「新しいシーズンになるとまた新しい選手が来てポジションを獲ったりしていたから、モチベーションを保つのは難しいところはありました。それで腐ったりはしなかったけど。名古屋はいい選手が揃ってましたから、確かに影響は受けました。巧い選手をよくみてましたね。でも、試合に出たかったですよね、やっぱり」

 2004年、名古屋を離れ、地元に近い大分トリニータへと移籍した。そして、昨年はレギュラーとして試合に出場、チームの成績は芳しいとは言えなかったが、個人的にはプロ入りしてから初めてともいえる「コンスタントに試合に出る」という目標に近づき充実したシーズンを送っていた。だが、年が明けて2005年になり、原田は出番を徐々に失っていった。途中交代が多くなり、そのうちにベンチにすら入れない試合も多くなっていた。そんな燻っていたときに舞い込んだ川崎フロンターレからのオファーに、原田はすぐに飛びついた。

「即決でした」

 2005年6月、川崎フロンターレ・原田拓として再スタートを切った。

 そして、8月20日──。

 川崎フロンターレの一員として原田は大分トリニータと対戦した。「すごい負けず嫌いなんですよ。だから古巣と対戦するとなるとすごい燃えるんです」と試合数日前に語っていた原田だが、後半途中からピッチに立ち、試合は2対1でフロンターレが勝利をおさめた。

 名古屋では、完成度の高いチームに属していたものの個人として「試合に出る」という目標に向かっていた日々だった。大分では、試合に出る喜びや経験を積んだが、「組織」としての戦い方に物足りなさを感じることもあった。そういう意味で、川崎フロンターレでの毎日に、原田はそれまでにない充実感を感じているという。二部練習が終わった後にインタビューを行ったこの日、原田が取材にやってきたのは、練習後1時間を過ぎた頃だった。

「きょうは筋トレやってたんですけど、俺、こんなに遅くまで残ったりしてたことっていままでなかったんですよ。練習終わったら、さっさと帰ってた。いまはプロテインとかサプリメントを摂ったり、このチームに来ていい影響を受けているのを感じてます」

 練習や試合においても、それは同じだ。

「毎日、練習メニューもよく考えられていて違うし、すごく新鮮です。監督やスタッフともコミュニケーションが取れてますし。選手とフロントがいい関係だなぁっていうのも感じています」


 取材も終わる頃になり、ボランチを組む中村についての、こんなエピソードを話してくれた。それは、原田が川崎に移籍する直前、まだ大分にいた今年5月の大分トリニータ対川崎フロンターレでの一戦のこと。ベンチから戦況を見つめていた原田の目にとまったのがはじめてプレーを観る中村だった。

「ベンチから観てて、うまいなぁって思ってたんです。ケンゴさんが一番目立ってた。俺は試合が終わる間際に出たんですけど、ちょっと張り切りすぎてイエローもらっちゃいました(笑)。俺、うまい選手みるとつい燃えちゃうんですよねぇ」

 その中村、また谷口とのコミュニケーションもスムーズに取れ、ボランチとしてコンビで機能する楽しさも原田が充実感を感じられる要因になっている。

「ケンゴさんは、話してくれるのでやりやすいですね。タイミングがいいし、フォローの仕方もいいのは周りが見えているからだと思う。タニも精力的に動いてくれて攻撃の芽を摘んでくれるし、ふたりともやりやすいです」

 これから先、試合にコンスタントに出たいと語る原田は前だけを見て、1日1日を大切に送っている。

「波がないように常にチームに求められているプレーを出せればレギュラーを獲れると思っています。パスを散らすというか起点になるプレーが自分の特徴なので、そこを伸ばしつつ、筋トレにも取り組んで弱いフィジカル面も鍛えていきたい。とにかく結果を出すために頑張るので応援してほしいですね」

PAGE TOP

サイトマップ