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  • ピックアッププレイヤー 2005-vol.09 / フッキ 選手

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PICKUP PLAYERS

18歳でブラジルから日本に渡ってきたレフティ・ストライカー。
普段は心優しい青年も、ひとたびピッチに立つと「勝負師」に変貌する。
そんなフッキのパワーの源は、遠く離れたブラジルで見守る両親と近くで声援を送ってくれるサポーターの存在だった。

 南米大陸の最も東に位置しているブラジル・パライーバ州で生まれ育ったフッキ。尊敬する両親と3人のお姉さんと3人の妹に挟まれた4番目の子どもとして6人姉妹に男性ひとりの7人兄弟という賑やかな家庭に育った。

「弟がほしいなぁとは思っていたけどね、でも楽しかったよ」

 サッカーをやっていた父親にとって、男の子の誕生は心待ちにしていたことだった。「小さいころはお父さんとサッカーしていた記憶しかない」というぐらい、3歳の頃から暇さえあれば父親にサッカーを教えてもらっていた。

 16歳のとき、ヴィトーリアでプロ契約を結んだフッキ。それ以前は、ポルトガルの2部リーグに所属するヴィラ・ノベンスのジュニアユースチームに所属し、ジュニアユースの数々の大会に参加し、経験を積んだ。

「ポジションは、左ウィング、中盤、フォワード、あとサイドバックもやったことがある。でも、ほとんど中盤だったかな。いろんな大会に出たけれど、一番思い出深いのは、2004年にヴィトーリアでオランダの大会(フィリップスカップ U-18)に参加して優勝したこと。決勝はフェイエノールトと対戦して2対1で勝って優勝したんだ」

 そして、2005年。サンパウロFCを経てヴィトーリアでプレーしていたフッキはフロンターレ関係者の目にとまり、日本行きの誘いが舞い込んだ。決断は早かった。

「海外でやりたいっていうのは若い選手であってもみんな思っていること。すぐに話し合って決めた。両親にも相談したけれど、15歳からいろんなところでプレーしてきてポルトガルにいたときも半年に1回ぐらいしか会えなかったからね。遠く離れてしまうけれど、応援してくれたよ」

 こうして、フロンターレの一員として新たな生活がスタートした。未知の土地にやって来た18歳を救ったのは、経験豊かな同じブラジル人選手たちだった。彼らがいたから、フッキは安心して溶け込むことができたという。

「ブラジル人がいっぱいいたし、みんなよくしてくれたからすぐに慣れることができたよ。最初の2ヵ月ぐらいはサッカーも生活も慣れるまで時間がかかると思うけど、だいじょうぶだよって言ってくれたんだ」

 爆発的な左足からのシュートをもつフッキに期待は高まった。だが、当初はボールをもちすぎたり、先輩たちのいう日本のサッカーに慣れるまでに要する「2ヵ月」の間には、プレー中に苛立ちをみせることも多々あった。チャンスをなかなかゴールに結びつけられない自分をフッキはこう諭していた。

「悪いときもある。なかなか点が取れないときは考えすぎてしまうこともあるけれど、あきらめないで練習していれば絶対にチャンスは来る」

「フッキは、どんな状況でもどんな体勢でも勝負に来るからね。それに、あの体は18歳とは思えない。凄いよね」と語るのは練習でフッキと対峙する機会が多い寺田周平だ。




「僕は、練習は試合だと思っているんだ。だからいつも勝負しようって思ってる。それで、試合は戦いなんだ。勝ちにいく、という気持ちだよね。選手っていうのはこれで完璧っていうのはないから、自分の弱い部分を強くするために毎日の練習をしなければならない。練習することで、強くなることができる。だから、これで満足っていうのはありえないよね」

 フッキ、待望のJ1リーグ初ゴールは7月2日、ジュビロ磐田戦で生まれた。

 ジュニーニョの先制ゴールが決まり、1対0でフロンターレリードで試合が進む。個人技のあるジュビロ選手たちの攻めをブロックを作って徹底して守る展開に、追加点がほしかった。その思いを背負って、フッキがピッチに入る。いつもの言葉を胸に誓った。

「自分の仲間たち、相手チームの選手たちもケガをしないでサッカーができますように。フロンターレがいい結果を出せますように。力をください」

 そして86分、長橋、フッキ、中村、そして再びフッキとダイレクトにつなぎ、フッキがフェイントでジュビロDFをかく乱する。「ヤスからボールをもらってケンゴとワンツーしたときには、もう相手と2対1の状況だったから勝負しようと思った。それで、ひとりを振り切ったらGKと1対1になった。そしたら…」

 フッキの目に入ってきたのは、ゴール前に入ってきたジュニーニョだった。ジュニーニョにパスを出そう。一度はそう思ったが、ジュビロDFがマークする姿が見え、「よし、勝負だ」と心は決まった。

「キーパーが前に出ようとしたのがわかったから、右足のインサイドで狙って決めたんだよ」

 技ありのゴールに、スタンドは一瞬の間があってから、ワーッと歓声が沸き起こり、フッキをフロンターレイレブンが取り囲んだ。目の前のゴール裏に陣取るサポーターに向けて、フッキは何度もガッツポーズを送った。

「サポーターには本当に感謝しているんだ。いつも自分のこともチームのことも応援してくれて、サポーターはチームにとって一番大切な存在だと思う。チームが結果を出せるのは、いつもサポーターが一緒に戦ってくれているから。僕は、サポーターは12番目の選手だと思ってる。ジュビロ戦でゴールを決めたとき、いつも応援してくれるみんなと一緒に喜べたことは本当にうれしかったんだ。もしも、逆サイドのゴールで点を決めていたとしても、うれしくてサポーターの前まで走っていったかもしれない」

 出来る限り、日本でプレーして活躍したいと心に誓うフッキ。その根底には、家族に対する感謝の気持ちと育ててくれた両親に対して恩返しをしたいという気持ちがあるという。昨年、まだブラジルにいたときに両親に家をプレゼントしたというフッキ。現在は、両親とひとつ上のお姉さん、3人の妹が住む故郷の我が家だ。それは、人生のなかで一番うれしかったことなのだとはにかんだ笑みをみせた。

「両親は、とても心がきれいな人たちで僕は本当に尊敬してるんだ。いまは電話で連絡をとっているけれど、パソコンをプレゼントしてメールでも連絡が取れるようになれたらいいなぁと思う。家をプレゼントしたとき、お母さんが本当に喜んでくれたことがうれしかった。自分がサッカーで成功すれば、いまよりももっと両親に楽な生活を送らせてあげることができる。それが一番の夢なんだ」

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